沖縄滞在最終日は、お墓参り。家系図に載っている、2番目と3番目のお墓に行ったことがないので、そこに行ってみたいとずっと思っていた。
(本島でテルキナをやっていると、自ずと家系のこと考える)
一つ目の那覇市壷川のお墓は住所を検索してもヒットしない。おそらく、区画整理とかで住所が変わっているんだろうな。ということは、まず那覇市役所で確認してもらおう。
担当の方、丁寧に調べてくれてメモを渡してくれた。ただ、検索してみるとその場所はマンションが建っているらしい。「もう何もありませんね」と言われることもあるだろうなと覚悟はしていた。それでも、その辺りには行ってみようと思っていた。
お礼を伝えてエレベーターに乗ろうとしたら、その方が走ってやってきて、「もう一カ所可能性があるのでもう少し調べさせてください」と。その後、さらに調べてくれたものの「まだ時間がかかりそうだから、連絡先を教えてください」と。そんなに調べてくれるの嬉しい。「今回見つからなくてもまた、今後も来ることがあると思いますので、どうぞよろしくお願いします。」と再度、お礼を伝えて役所を後にした。
さて、次はレンタルバイク屋へ。絵的には、マニュアルのバイクの方が映えるんだけど、スニーカーが汚れるのと、クラッチを握る手がきっと筋肉痛になるのと、那覇市内は割と渋滞だらけなのを知っているので、スクーターにした。この「ちょっとワルそうなもの」が、全部似合わないのが悩みではありますが。
モノレールでの移動中に役場の方から電話があった。折り返すと「先ほど渡した住所で確実です」とのこと。本当にありがたい。
バイクを借りて、住所の現場へ。やはり、マンションが建っている。そうかそうか。じゃあ、今後の話のためにマンションの写真でも撮っておくかな。と写真をパチリ。ふと横に目をやると切り立った崖に階段があるのをみつける。沖縄でこういう感じの階段をみつけると拝み所に通じることが多い。「ちょっと見に行ってみるかな」と山に足を踏み入れると。。。
お墓があった。目的のものではない。ジャングルの中を少し歩いてみると、次々にお墓を発見した。調べてもらった住所のところにマンションはあるけど、おそらくこの山のことを指しているんだろうなということが解って嬉しくなった。
バイクに乗るため、長そでのシャツを着ていたので蒸し蒸しのジャングルの中を歩くとすぐに汗だくになってしまった。それでも、蚊の大群がやってくるので、長そでを脱ぐ気にはならず。
少し歩くと別の階段が現れて、ということを繰り返し結局2時間ほど山の中を歩いた。それでも見つからなかった。今回は、時間切れだな。もう一度来ることは無いような気がする。関係ないものが立ち入って散策してはいけない場所だな。だいたい、この辺りにあったんだなということが解っただけでも満足してスッキリした。
次に目指すは、浦添城の下の墓地。こちらも住所はあるものの、調べると集合墓地が出てくる。歩き回って探すか、管理事務所に行って、場所を尋ねるしかないかな。
現場について愕然。こちらは、山肌見渡す限りお墓だ。
千や二千じゃないだろうな。歩くのは無理だ。事務所の方に尋ねると大体の場所は調べられるとのこと。今すぐ対応できないので、ちょっと時間をくれとのこと。連絡先を渡して、少し離れたところで遅い昼食を食べることにした。
骨汁を食べていると、いとこからメッセージあり。沖縄に関する意識が強い人で、昨日の夜「今日、こんなことをするんだ」と伝えておいた。
メッセージ
「『名護でむんちゅう(門人)の集まりが数年前まであった』ときーてたので、もしかその場所?と思って、つるおばちゃんに聞いてみたところ『そこよ!』ってゆーてる。車のナビとかあったらすぐ出るみたいよ。で、つるおばちゃんが、『先、宇治のお墓→粟国の墓→名護の門人の墓に行った方が良い👍』と、神人みたいなこと言ってる。」
で、おばちゃんの連絡先が添えてあった。そうかそうか。ちょっと希望が出てきたな。と思った矢先、おばちゃんから、電話がかかってきた。
「今、どこにいるの?」
「浦添にきてます」
「じゃあ、今から行くから」
「信号からちょっと上ったところにいて」
みたいな、まるで地元の人同士のような短かくて不安すぎるやり取りをしてから電話を切ると続いて、事務所から電話あり。「場所は解ったが、何年も人が入っておらず草が多くたどり着けないかもしれない」とのこと。
「親戚のおばちゃんと連絡がとれたので、現地で集合します。後ほどよろしくお願いします。」と伝えて、現地へ。
会ったの何年ぶりだろう。にこやかに出迎えてくれた。
おばちゃんの記憶と反対の方に誘導される
「たぶん、この辺りだと思うけど、見つからない」と、おばちゃん。そこに事務所の方がやってきて、「この辺りじゃなくて、山の反対側だよ」と。
「そんなことない、こんなに登ってこなかった」とおばちゃん。
事務所の方は、丁寧に話をきいてくれて、写真も見てくれて総合的に「やっぱりこっちだよ」と。
ぼくとしては、おばちゃんの記憶の方が正しいんだろうなと思っていたのだけど、事務所の方についていくことに。
「ここじゃないですか?」と連れられていくも、写真とは明らかに違う。事務所の方、どこかに電話をして確認してくれる。すると「わかりました。一段下です」と。
草がぼうぼうで進めない。「1年や2年ではこうはならない。」と事務所の方。
「草むらから飛び出ている石の柵の上を渡って行ってもいいですか?」とぼく。
「いや、危ないことはやめておきましょう」と事務所の方。バランスには、自信があるのだけど、おそらくこれは、本当に怪我をするところを制止してくれたんだろうな。
回り道をして草を踏みしめて進むと、「ありました。これですね。写真に骨組みのようなものも映ってましたよね」と。
確かに、写真と同じ。同じ所についにたどり着きました。
涙が出てきて、事務の方にお礼を伝える。「良かったですね。お墓参りできますね。」と。
おばちゃんによーく話をきくと、もう10年くらい、来れてなかったそうだ。それは記憶も薄れるし、草もぼーぼーになりますわ。
2人で草むしりをして、「あー綺麗になった」と嬉しそうなおばちゃん。しっかりお参りできました。
あっさりお別れした後、せっかくなので、浦添城址に登る。
人っ子一人いなく、静かに過ごすことができました。
帰りの飛行機を降りてふと思い立って、壷川のことを検索すると、戦争に関する記述とぼくが昼間に見たのと全く同じ景色が出てきた。「ここが一番、迫力があるな」と思った場所だった。おしまい。