昨晩は世紀の大宴会だったわけですが、何事もなかったかのように集合して本番へと突入。一般参加者のみなさんの演奏良かったな。仲良くなりたい人がたくさんおりました。ステージ上で寝てしまった子も!運営のみなさんの懐の深さにも感動。何か口出ししたくなりそうなものなのになあ。そこには、愛とリスペクトがあるんだな。こどもたちの唄も素晴らしかったし。化け物のようなメンバーのみなさんはカッコよかったし。
こういうときには、下道でゆっくり帰る。
昨晩は世紀の大宴会だったわけですが、何事もなかったかのように集合して本番へと突入。一般参加者のみなさんの演奏良かったな。仲良くなりたい人がたくさんおりました。ステージ上で寝てしまった子も!運営のみなさんの懐の深さにも感動。何か口出ししたくなりそうなものなのになあ。そこには、愛とリスペクトがあるんだな。こどもたちの唄も素晴らしかったし。化け物のようなメンバーのみなさんはカッコよかったし。
こういうときには、下道でゆっくり帰る。
前日リハから参加。楽器はパリパリ吹ける仕様のフリューガボーンと、一応、ユーフォも持っていく。サウンドチェックの時間よりもかなり早く着いたのだけど、一般参加の方たちは二日前からワークショップをしているというので、それも見ておきたかった。まだ完全に曲もなにも知らない状態だったので、良い予習になりました。
サウンドチェックが始まると、フリューガボーンは、大不評であった。気を取り直してユーフォでやる。まあ、結果的には良かったのかな。打ち上げの宿舎では、糖質の鬼頭さんが自分専用の蛇口を用意していたのを見て、ぼくも、写真を拡大して銘柄を確認して、同じ蛇口を用意していった。随分と便利であった。トイレに出て、帰る部屋を間違えると、そこでも大宴会が繰り広げられていて、「まあまあ、ちょっと寄っていきなさい」ということが何度かあり、気持ちの浮き沈みも相まって、大撃沈したのであった。
沖縄最終日は、Ryutyの竹美さんとランチ。お互いに近況報告をしておしゃべりして。今回は、ぼくが粟国に行くことに対してヒジョーに不安定な状態だったので連絡もしてなくて、一緒に音を出せなかったのだけどまた次回!ということで。ありがとうございました。
やっぱり今日も遊びにいく元気がなく、早めに空港に移動することに。その前にスーパーユニオンに寄りました。国際通りや空港でお土産屋さんに行くよりよっぽどいい。観光客いないし。ここで、会員証を作りました。音楽家ユニオンという労働組合のような組織があるので、「ユニオンの会員になりました」と言うと大いに誤解を受けそうなのだけど、ユニオンの会員になりました。わたし。
18:00のフライトのところ、16:00に空港に入ってANAのチェックインカウンターへ行くと「予約がありません」と言われる。チケットをとってくれたアキさんに確認すると「ごめんなさい!JALの20:00の間違いでした」ということで、4時間を那覇空港で過ごしました。いーの。お陰で穴場を見つけることができました。もうここ以外では食事しない。
無事にセントレアに着いて帰宅も、あまり話すこともなく寝る。これは父への報告が先かなと。今回もお世話になりましたみなさまありがとうございました。
お昼ご飯を那覇市内でアキさんと。まんじゅまいというお店なのだけど、ここのおかみさんが粟国出身の方で今回もお世話になったそうで、紹介してくれるとのことで。ここで、やはり屋号の話になり「ヒジャーです」と自信なく伝えるとやっぱりそれでは不十分だと。急遽、実家の母にメッセージをして家系図の写真を送ってもらうことにした。しっかし、ご飯がおいしかった。送ってもらった家系図に「ヒジャー西リン屋」と書いてあるのを見せて納得してもらえました。ヒジャーは泉の意味だけど、リンはなんだろね。
いつもなら、レンタルバイクを借りてビューンと冒険に出かけるのだけど、今回は粟国のことで胸がいっぱいでそんな気持ちになれず、宿でごろごろしていた。
夕方にMAZDAさんが迎えに来てくれて、沖縄市までバリチューの音出し会に。その前に一番好きだというステーキ屋さんに連れていってくれました。粟国のことを報告していたら、先日お客さんで来てくれていたユーフォの方のお母さまが粟国の方だそうで、お墓が崖の中腹にあってとか、そんな話もすんなり通じました。なんか、集まってくるな。すごいな。
沖縄市の施設に移動してバリチュー大会。自分の作品と、ASLANのレパートリーをやりました。音出しだけだったらつまらないので、録画してあとでYouTubeにアップすることに。楽しくてあっという間に時間が過ぎてしまった。
朝、玉寄さんに宿まで迎えに来ていただきました。
まずは、商店でお墓参りに必要なものを買う。
こういうところから、知識がない。
「お供えは果物が良いのだけど、無かったらお菓子で良い。」など。
80メートルの断崖絶壁の中腹にあるお墓へのアプローチ。いつもは上側から行っていたのだけど、玉寄さんによると、それは逆だそうで、下からが正しいと。ここから手前はこの世、ここから先はあの世という境界線も教えてもらいました。
いつもは、ずいぶん時間がかかる印象だったのだけど、玉寄さんに連れていってもらったら、いつもの1/3くらいの時間、労力でたどり着くことができました。
「あれ?こんなに近かったっけ?玉寄さん、間違ってるんじゃないの?」と思ってしまったほど。(失礼しやした、いつも自力で行くときはどれだけドキドキしていたか、今回が安心していたかということだと思う)
お墓にたどり着くと、大きな岩が。「あれ!?落石だね」なんて笑う。これ、直撃してたら、結構大変だな。
お墓参りのお作法も教えてくれて。お供え物を並べて、泡盛を紙コップに注いで、線香を3束火をつけてから紙のお札に火をつける。
あとは、照喜名竹美さんに以前聞いていたので、だいたいわかる。父の名前、干支、年、母の名前、干支、年などなど報告する。
無事にお墓参りが終わりました。感無量。
この後、玉寄さんが島の観光地を全部!そう全部!連れていってくださいました。塩工場、かりんとう工場、(塩工場は、何度も行っているので、ぼくは通ぶって写真を撮らなかったのを後悔している。いろんな人がいろんな質問をしていて、知らなかったことをたくさん教えてくれていたのを、驚かないふりをして聞いていた)
照喜名坂(と呼ばれるなんにもない道路)、むんじゅるの石碑から、洞窟(地元の方と来たのものすごく久しぶりで、がい骨に関する新しい発見あり)、お昼ご飯の沖縄そばも予約してくれていなければくいっぱぐれていたな。ありがとうございます。
かりんとう工場では、「えっ!こんなに手作りなの!」と。そして、照喜名節のてぬぐいもいただきました。
時間に余裕を持って帰りのフェリーに乗り込むと、港に地元の方々が集まってきてくれて。なんと紙テープを持ってきてくれました。
そして、また会いましょうという意味のたすき掛けも。
もう涙腺崩壊ですよ。
「その紙テープは、切れたら船体にへばりつくから、そしたら怒られるから、切れたら手で巻いて回収するんだよ」とか教えてくれて。
テープが切れたので、急いで回収したら船員さんがやってきたので、怒られるのかと思ったら「はい、ビニール袋。持って帰ります?処分します?」とか聞いてくれました。
帰りのフェリーでは、眠れるように宿でハイボールを買って仕込んでおりました。波もなく、お酒もちょうど良い分量で良かった。
那覇に着いたらもう別の世界みたいになっておりました。さっきまでいた世界はゲームの中だったんじゃなかろうかみたいな。
ここで、宿が別々なメンバーと別れ、一人チェックインしました。
ここで大人しくしていればよかったのだけれど、まだこの時点ではアドレナリンが出ていた。元気だった。知り合いからちょくちょく名前を聞く隣町のライブハウスでブルースセッションをやっているらしいので、行ってみることにした。初めての市バス。降りるバス停は「じっちょく」読めるかーい!地図アプリを凝視していなければ、アナウンスだけではわからなかった。初めましてのガチャピンさんにご挨拶。ブルースセッションは、ギターや唄が主体になっていて、残念ながらあんまり活躍できず。
同じころ「那覇市内でジャズのジャムセッションに参加する」と言っていた木全君に連絡をしてみると「まだやっている、今からでも参加できる」というのでタクシーにてバビューンと移動したら、こちらはいわゆるジャムセッションで、大いに活躍できたのでござります。
朝起きて、那覇市の簡易宿。眠気眼をこすりながら宿を出る。宿のロビーにはすでに奥村さんと木俣君がスタンバイしておりました。宿の駐車場でアキさんのクルマにベースを積み込む。人間は、タクシーにて泊洪まで。
泊港のチケット売り場には、お弁当屋さんがあって、値段の割に相当なボリュームがある御弁当を販売しております。それを知っていたので、購入しようと思ったのだけど、あれ。わたし、現金の持ち合わせがないじゃないですか。あれ。たしかに、家を出るときに現金少な目かなと思ってはいたけど、昨晩、3千円くらい使っちゃったか。
結局、おにぎりを数個。粟国ではクルマもなく、自由に動き回れないから、手元におにぎりが欲しいな。
フェリーの横に集合して荷物を集めていると、フェリーの係の方が、「それは、コンテナに積んでね。そして、スピーカーとかは有料になるよ」と言われた。
そう、最低限の音響機材を持ち込もうとしていたのです。アキさんが小学校公演であること、教育委員会の後援を受けていることなどを説明すると「じゃあ、今回は大丈夫です」のような対応をしてくれました。基本的に「なんとかしてあげたい」という気持ちを感じられたのでとてもありがたくうれしかった。※今回、たまたま許していただいたので、次はちゃんとします。
機材をコンテナに積み込み、バンドメンバー、フェリーに乗り込む。
ぼくの知っているフェリーから、代替わりして新しいフェリーになっていました。かなり綺麗。でも、この床席のアルマイト素材のタライやなんかはそのままで面白い。願わくば使いたくない。
乗り物酔いをしない、したことのないぼくが、「ぜんぜん、大丈夫、ぜんぜん平気。ボエーッ」と戻してしまった経験があるので、今回もかなり警戒しておりました。ほんとうは、昨日、那覇市内のドラッグストアに寄って酔い止め(しかも船乗りさんにおススメしてもらったアネトン)を購入しようと思っていたのに、フライトの遅れでそんなタイミングはなくなってしまったのです。
「よーし、寝るぞー寝るぞー!」と気合を入れて横になったのですが、結局、テンションが上がってきてしまって、甲板と床席をウロウロウロウロしてました。
粟国島が見えてくると「父はこの光景をどういう気持ちで見ていたのかな」と思いを馳せました。果たして晴天の中、粟国港にフェリーが接岸しました。
粟国港からは、フェリーに乗ってきたお客さんは、それぞれのお迎えのクルマに迎えられて、それぞれの目的地にいくわけですが。
わたしたちを迎えに来てくれたのは、役場の方。
「まだ体育館に入れないのでちょっと待っていてください」と。
港の待合室に入りました。ここはね。本当は、食堂があってポール牧さんのポスターとか貼ってあったのだけど、もうなくなっちゃってますね。しょうがないね。ほら、ご飯食べる機会ないでしょ。
ぼくは、ぼくだけは、粟国の港からすぐに海岸線に降りられるのを知ってます。「誰か一緒に遊びに行きますか?」と声をかけたらあっちゃん、あすみさんご夫妻が付いてきてくれた。常に、粟国のことを知っている一人で動くか、お友達を連れていくかというのはここから始まったなあ。
役場の方が迎えに来てくれて、小学校の体育館へ。こういうところへ入るのは初めてです。
一応、音響のプランをしていたのだけど、あっちゃんが手伝ってくれて、というか主導してくれて現場にあるもので立派なセッティングになりました。粟国小の演台にキーボードが乗っているのは、なんだか悪の組織みたいでかっこいいゼ。
一通り、リハーサルをして少しの空き時間。ぼくは一人抜け出してお爺さんの家(家があった場所)を見に行くことに。
おじいさんの家にたどり着くと、草ぼーぼーであった。以前ももう家は建っておらず、敷地があってコンクリートが張って有って、とぅーじ{水がめ}と、小屋のようなものがあっただけなんだけど。隣の家の方に話すと、その方が手を入れてくれていたそう。隣の家をのぞき込むも誰もおらず。。。
小学校に戻るべく、ババババッと早足で歩いていると、女性のグループに声をかけられる。「これなんですけど、ご存じですか?」と宗教の新聞を渡された。もちろん本当からやってきている。おそらく今日、この島で一番センチメンタルな気分に浸っているであろう、ぼくに宗教の勧誘をするとはセンスないなあと思いつつも、つきあってあげた。この島にあって、こういうことに関心を持ってくれる人はいないのでは。頑張ってね。
小学校にもどると、粟国の踊りと民謡のチーム、そして、いろんな地元の方が集まってくれてました。自己紹介するとき、「照喜名です」だけじゃ不十分で「ヒジャーカタテルキナです」と唱えないといけないのを知っている。
そのように自己紹介するも、「屋号は?」と聞かれる。「あれ?ぼくの認識ではヒジャーが屋号なのだけど。。。」「西の方のあっちの池の横です。。。」などと説明するともうちょっとわかってもらえた。
開演の時間に合わせてライブ配信をセッティング。なんと5Gが来ているではないか。。。前回は電波がほとんどなかったもんな。隔世の感が有りびっくり。
自分たちの演奏をして、粟国の民謡の方の演奏と踊りをみる。すごいなあ。太鼓のこのタメが。。。唄の方もものすごくいい声だ。おばあも、子供たちもかわいいし。所作が美しい。たまらん。
無事に公演を終えて、みんなで写真撮影なんかして。撤収していると外はいつの間にか雨。
コンサートが終わるまでもって本当に良かった。
役場の方に送ってもらってプチホテルいさへ。ここも親戚です。おこさんがたくさんいて随分と賑やかになってて嬉しい。
チェックインして荷物だけ置いて、パーラーへ打ち上げに。たぶん、この時間に営業している飲食店はここ1件のみ。アキさんが段取りをしてくれていました。
打ち上げには、民謡のご家族、役場の方や教育長さん?観光協会の方?も来てくださいました。
民謡の方、玉寄さんにいろいろな話をする。「自分はだれだれの孫で、昔はこういう人が親戚で居て。でもみんなもう本当に移ってしまって、いまは頼れる人が島にはいない。」「明日は、自分ひとりでレンタカーを借りてお墓参りにいこうとおもう。」
こんなようなやりとりをしていた時、どこからともなくお線香の匂いがしてきた。始めは厨房から焼き鳥の煙が流れてきたのかなと思ったけど、これは間違いなくお線香の香りだった。「ああ、父がやってきたんだな」と解った。
霊感は無くもない。心霊スポットに冷やかしに行ってイタズラされたり、お化け屋敷に住んでお化けと対決して勝ったくらい。
でも、このようなことは初めてだったので驚いたけど、ごく自然のことであるとも感じた。「コンサートでなく、打ち上げの方に来たね。打ち上げの会場で主張してきたね。父らしいね。」
役場の方とレンタカーの相談をしていたら、玉寄さんが「わたしたち、むーんちゅです」と。
玉寄さんが、お母さまにいろいろと報告してくださっていた結果「ああ、その人はむーんちゅだよ」ということが分かったそうです。
説明しよう。むーんちゅとは、門中と書き、よーするにお墓が同じという家柄である。
「明日、一緒にお墓参り行きましょう」と言ってくれた。うれしくて涙が出てきた。そもそも、「神隠しに会うので一人では行ってはダメ」と言われていて、昔はノロ(神様と通じている人)のおばあちゃんに連れていってもらっていた。その方もいなくなってしまってからは、家族だけで行っていたりしたけど、やはり一人で行くのは不安だった。もう島には頼る人がいないと思っていたのに。
もう感情が大爆発していて、宿に帰るとさすがにバタンキューだったようで、翌朝、起きてみると着の身着のままであった。
朝イチで家を出て、金山駅へ。ピアニストの奥村
さんと空港まで行ってチェックインまでお世話
。名古屋駅は、空港行きの特急の乗り場と特急以外の乗り場とホームが違うから、金山駅の方が都合が良いね。無事に奥村さんのチェックインまでお付き合いして、奥村さんを見送りました。
先に沖縄に飛んで、打ち合わせ等々やっていただきます。ご苦労様です。で、ぼくは、自分のフライトまで2時間くらい空いているので余裕を持ってお昼ご飯と空港探検を。といってももう大体のことは知っているので一回りしたのみ。穴場であるお店に入ってお昼ご飯。
ゲートまで行ってゆっくりしていると、木全君登場。ちょこっと談笑してまた別々に。
出発、そして到着合わせて50分遅れました。17:00に那覇空港に到着して19:00オープンのライブの予定が18:00に到着、19:00オープンとなかなかギリギリだけどまあ大丈夫でしょう。
那覇空港では、木全君がハードケースで預けたコントラバスをピックアップ。がーん!なにこれ!?プラミッドの部品?コントラバスを移動させるってこんなに大変なのね。。。
このフライトにはオーケストラ御一行様もいて、このコントラバスコンテナが4本出てきました。
急いでモノレールで移動してお店に着いたのが18:45。
開店まであと15分ですが、店内ではバリチューのASLANさんがリハーサルを行っていました。オープニングアクトをしてくれます。何も打ち合わせもしていないけど、飛び入り参加させてほしかったのです。ユーフォマンも連れてきているのです。バババッと合わせてすぐに開店。あれよあれよという間にライブが始まりました。
オープニングアクトに混ぜてもらって、琉球ポリゴン、そして今回スペシャル参加のあっちゃんあすみちゃんの演奏、そしてみんなで演奏。
あー、楽しかった。この日のためにしばらくお酒を抜いてきたので、乾杯がうまい。
解散したのちは、大好き!オーシロショーさんに連れ出してもらいました。
知ってる?沖縄のせんべろがこんなに楽しいの。
そしてアキさんがとってくれた宿はこんな。木全くーんがんばれ!