朝起きて、那覇市の簡易宿。眠気眼をこすりながら宿を出る。宿のロビーにはすでに奥村さんと木俣君がスタンバイしておりました。宿の駐車場でアキさんのクルマにベースを積み込む。人間は、タクシーにて泊洪まで。
泊港のチケット売り場には、お弁当屋さんがあって、値段の割に相当なボリュームがある御弁当を販売しております。それを知っていたので、購入しようと思ったのだけど、あれ。わたし、現金の持ち合わせがないじゃないですか。あれ。たしかに、家を出るときに現金少な目かなと思ってはいたけど、昨晩、3千円くらい使っちゃったか。
結局、おにぎりを数個。粟国ではクルマもなく、自由に動き回れないから、手元におにぎりが欲しいな。
フェリーの横に集合して荷物を集めていると、フェリーの係の方が、「それは、コンテナに積んでね。そして、スピーカーとかは有料になるよ」と言われた。

そう、最低限の音響機材を持ち込もうとしていたのです。アキさんが小学校公演であること、教育委員会の後援を受けていることなどを説明すると「じゃあ、今回は大丈夫です」のような対応をしてくれました。基本的に「なんとかしてあげたい」という気持ちを感じられたのでとてもありがたくうれしかった。※今回、たまたま許していただいたので、次はちゃんとします。

機材をコンテナに積み込み、バンドメンバー、フェリーに乗り込む。

ぼくの知っているフェリーから、代替わりして新しいフェリーになっていました。かなり綺麗。でも、この床席のアルマイト素材のタライやなんかはそのままで面白い。願わくば使いたくない。


乗り物酔いをしない、したことのないぼくが、「ぜんぜん、大丈夫、ぜんぜん平気。ボエーッ」と戻してしまった経験があるので、今回もかなり警戒しておりました。ほんとうは、昨日、那覇市内のドラッグストアに寄って酔い止め(しかも船乗りさんにおススメしてもらったアネトン)を購入しようと思っていたのに、フライトの遅れでそんなタイミングはなくなってしまったのです。
「よーし、寝るぞー寝るぞー!」と気合を入れて横になったのですが、結局、テンションが上がってきてしまって、甲板と床席をウロウロウロウロしてました。

粟国島が見えてくると「父はこの光景をどういう気持ちで見ていたのかな」と思いを馳せました。果たして晴天の中、粟国港にフェリーが接岸しました。

粟国港からは、フェリーに乗ってきたお客さんは、それぞれのお迎えのクルマに迎えられて、それぞれの目的地にいくわけですが。
わたしたちを迎えに来てくれたのは、役場の方。
「まだ体育館に入れないのでちょっと待っていてください」と。


港の待合室に入りました。ここはね。本当は、食堂があってポール牧さんのポスターとか貼ってあったのだけど、もうなくなっちゃってますね。しょうがないね。ほら、ご飯食べる機会ないでしょ。
ぼくは、ぼくだけは、粟国の港からすぐに海岸線に降りられるのを知ってます。「誰か一緒に遊びに行きますか?」と声をかけたらあっちゃん、あすみさんご夫妻が付いてきてくれた。常に、粟国のことを知っている一人で動くか、お友達を連れていくかというのはここから始まったなあ。
役場の方が迎えに来てくれて、小学校の体育館へ。こういうところへ入るのは初めてです。
一応、音響のプランをしていたのだけど、あっちゃんが手伝ってくれて、というか主導してくれて現場にあるもので立派なセッティングになりました。粟国小の演台にキーボードが乗っているのは、なんだか悪の組織みたいでかっこいいゼ。

一通り、リハーサルをして少しの空き時間。ぼくは一人抜け出してお爺さんの家(家があった場所)を見に行くことに。
おじいさんの家にたどり着くと、草ぼーぼーであった。以前ももう家は建っておらず、敷地があってコンクリートが張って有って、とぅーじ{水がめ}と、小屋のようなものがあっただけなんだけど。隣の家の方に話すと、その方が手を入れてくれていたそう。隣の家をのぞき込むも誰もおらず。。。


小学校に戻るべく、ババババッと早足で歩いていると、女性のグループに声をかけられる。「これなんですけど、ご存じですか?」と宗教の新聞を渡された。もちろん本当からやってきている。おそらく今日、この島で一番センチメンタルな気分に浸っているであろう、ぼくに宗教の勧誘をするとはセンスないなあと思いつつも、つきあってあげた。この島にあって、こういうことに関心を持ってくれる人はいないのでは。頑張ってね。
小学校にもどると、粟国の踊りと民謡のチーム、そして、いろんな地元の方が集まってくれてました。自己紹介するとき、「照喜名です」だけじゃ不十分で「ヒジャーカタテルキナです」と唱えないといけないのを知っている。

そのように自己紹介するも、「屋号は?」と聞かれる。「あれ?ぼくの認識ではヒジャーが屋号なのだけど。。。」「西の方のあっちの池の横です。。。」などと説明するともうちょっとわかってもらえた。
開演の時間に合わせてライブ配信をセッティング。なんと5Gが来ているではないか。。。前回は電波がほとんどなかったもんな。隔世の感が有りびっくり。
自分たちの演奏をして、粟国の民謡の方の演奏と踊りをみる。すごいなあ。太鼓のこのタメが。。。唄の方もものすごくいい声だ。おばあも、子供たちもかわいいし。所作が美しい。たまらん。
無事に公演を終えて、みんなで写真撮影なんかして。撤収していると外はいつの間にか雨。
コンサートが終わるまでもって本当に良かった。
役場の方に送ってもらってプチホテルいさへ。ここも親戚です。おこさんがたくさんいて随分と賑やかになってて嬉しい。

チェックインして荷物だけ置いて、パーラーへ打ち上げに。たぶん、この時間に営業している飲食店はここ1件のみ。アキさんが段取りをしてくれていました。
打ち上げには、民謡のご家族、役場の方や教育長さん?観光協会の方?も来てくださいました。
民謡の方、玉寄さんにいろいろな話をする。「自分はだれだれの孫で、昔はこういう人が親戚で居て。でもみんなもう本当に移ってしまって、いまは頼れる人が島にはいない。」「明日は、自分ひとりでレンタカーを借りてお墓参りにいこうとおもう。」


こんなようなやりとりをしていた時、どこからともなくお線香の匂いがしてきた。始めは厨房から焼き鳥の煙が流れてきたのかなと思ったけど、これは間違いなくお線香の香りだった。「ああ、父がやってきたんだな」と解った。
霊感は無くもない。心霊スポットに冷やかしに行ってイタズラされたり、お化け屋敷に住んでお化けと対決して勝ったくらい。
でも、このようなことは初めてだったので驚いたけど、ごく自然のことであるとも感じた。「コンサートでなく、打ち上げの方に来たね。打ち上げの会場で主張してきたね。父らしいね。」
役場の方とレンタカーの相談をしていたら、玉寄さんが「わたしたち、むーんちゅです」と。
玉寄さんが、お母さまにいろいろと報告してくださっていた結果「ああ、その人はむーんちゅだよ」ということが分かったそうです。
説明しよう。むーんちゅとは、門中と書き、よーするにお墓が同じという家柄である。
「明日、一緒にお墓参り行きましょう」と言ってくれた。うれしくて涙が出てきた。そもそも、「神隠しに会うので一人では行ってはダメ」と言われていて、昔はノロ(神様と通じている人)のおばあちゃんに連れていってもらっていた。その方もいなくなってしまってからは、家族だけで行っていたりしたけど、やはり一人で行くのは不安だった。もう島には頼る人がいないと思っていたのに。
もう感情が大爆発していて、宿に帰るとさすがにバタンキューだったようで、翌朝、起きてみると着の身着のままであった。