粟国での墓参り→観光→那覇へ→セッション二つ

朝、玉寄さんに宿まで迎えに来ていただきました。
まずは、商店でお墓参りに必要なものを買う。
こういうところから、知識がない。
「お供えは果物が良いのだけど、無かったらお菓子で良い。」など。

80メートルの断崖絶壁の中腹にあるお墓へのアプローチ。いつもは上側から行っていたのだけど、玉寄さんによると、それは逆だそうで、下からが正しいと。ここから手前はこの世、ここから先はあの世という境界線も教えてもらいました。

いつもは、ずいぶん時間がかかる印象だったのだけど、玉寄さんに連れていってもらったら、いつもの1/3くらいの時間、労力でたどり着くことができました。

「あれ?こんなに近かったっけ?玉寄さん、間違ってるんじゃないの?」と思ってしまったほど。(失礼しやした、いつも自力で行くときはどれだけドキドキしていたか、今回が安心していたかということだと思う)

お墓にたどり着くと、大きな岩が。「あれ!?落石だね」なんて笑う。これ、直撃してたら、結構大変だな。

この並べた数にも意味があるそう

お墓参りのお作法も教えてくれて。お供え物を並べて、泡盛を紙コップに注いで、線香を3束火をつけてから紙のお札に火をつける。

あとは、照喜名竹美さんに以前聞いていたので、だいたいわかる。父の名前、干支、年、母の名前、干支、年などなど報告する。

無事にお墓参りが終わりました。感無量。

玉寄さんと
お参りの後お酒をかけて火を消した
らくせーき!
本家

この後、玉寄さんが島の観光地を全部!そう全部!連れていってくださいました。塩工場、かりんとう工場、(塩工場は、何度も行っているので、ぼくは通ぶって写真を撮らなかったのを後悔している。いろんな人がいろんな質問をしていて、知らなかったことをたくさん教えてくれていたのを、驚かないふりをして聞いていた)

こんなにちっさく作ってるの!
揚げたて、サーターアンダギーみたいでうまかった

照喜名坂(と呼ばれるなんにもない道路)、むんじゅるの石碑から、洞窟(地元の方と来たのものすごく久しぶりで、がい骨に関する新しい発見あり)、お昼ご飯の沖縄そばも予約してくれていなければくいっぱぐれていたな。ありがとうございます。

かりんとう工場では、「えっ!こんなに手作りなの!」と。そして、照喜名節のてぬぐいもいただきました。

時間に余裕を持って帰りのフェリーに乗り込むと、港に地元の方々が集まってきてくれて。なんと紙テープを持ってきてくれました。



そして、また会いましょうという意味のたすき掛けも。

洞窟。初めて来た時にはこの階段が整備されていなかった
きれい

もう涙腺崩壊ですよ。

「その紙テープは、切れたら船体にへばりつくから、そしたら怒られるから、切れたら手で巻いて回収するんだよ」とか教えてくれて。

テープが切れたので、急いで回収したら船員さんがやってきたので、怒られるのかと思ったら「はい、ビニール袋。持って帰ります?処分します?」とか聞いてくれました。

涙!

帰りのフェリーでは、眠れるように宿でハイボールを買って仕込んでおりました。波もなく、お酒もちょうど良い分量で良かった。

那覇に着いたらもう別の世界みたいになっておりました。さっきまでいた世界はゲームの中だったんじゃなかろうかみたいな。

ここで、宿が別々なメンバーと別れ、一人チェックインしました。

ここで大人しくしていればよかったのだけれど、まだこの時点ではアドレナリンが出ていた。元気だった。知り合いからちょくちょく名前を聞く隣町のライブハウスでブルースセッションをやっているらしいので、行ってみることにした。初めての市バス。降りるバス停は「じっちょく」読めるかーい!地図アプリを凝視していなければ、アナウンスだけではわからなかった。初めましてのガチャピンさんにご挨拶。ブルースセッションは、ギターや唄が主体になっていて、残念ながらあんまり活躍できず。

よめるか!
また別の形でお邪魔します!

同じころ「那覇市内でジャズのジャムセッションに参加する」と言っていた木全君に連絡をしてみると「まだやっている、今からでも参加できる」というのでタクシーにてバビューンと移動したら、こちらはいわゆるジャムセッションで、大いに活躍できたのでござります。

吹きまくった!